医療経営管理士を創ろうとしている人のブログ

診療放射線技師みおきょうこのひとりごと

3月15日のBパート 前編

ブログを始めた当初、ここにしたためる内容について、医療経営の低い天井に自分が開ける風穴を通り高みを創る世代が読むことを想定すると述べた。
受け取るべき者が医療経営管理士を探すとき、つかむ手段は多いほうがよいだろうということでもある。
基本的には、先月までにメインアカウント(https://www.instagram.com/mioko1111/)へUPしたコアを残しておけば、才ある者が医療経営管理士創設を実現すると自分は考えている。
よって、自分は自分のやるべき最低限を終えている。
はずだったが、自分の置かれている状況はあまりにも変わらず、むしろ、次の選択を終えたところでもあったりする。
何を言いたいかというと、今回に限り、自分自身が次へ進むために述べる。

 

おそらく、自分の役割は、医療経営管理士のコアを3部作として明示することだけではないのだろう。
なぜなら、自分はやるべきことを終えたとき死ぬと思っているからだ。
人によっては多少の余興もあるのだろうが、それが平和的であるとは限らない。
そのため、自分はやるべきときにすべてを出し切り、終えた瞬間にこと切れるのが潔いように考えており、困難が増えるだけの余興ならないほうが自分はいい。

 

この価値観の根源は、死は自分にとって、終わりではなくゴールだからだろう。
やるべきことを終えないうちから死ぬことはできないし、死んだ者はやるべきことを終えたから死んでいる。
なので、若くして死した者を憐れむのは失礼であるし、長生きはクリア条件が多いからで、個々の能力に見合うゴールが設定されているという点において、人は皆平等。

 

コアを創り終えたのに、大した変化が起こらないことを不満に感じている自分が、しぶしぶ打った次の手は人選である。
自分と同等かそれより上の世代は、コアを理屈として理解できても、具体的に形を創造し得る可能性はほぼゼロだろうと思っている。
これは、江戸時代の人にスマホを想像できないのと同じで、能力の問題ではない。
そもそも、理解できるのと実行できるのは、根本的に違う。
逆説すれば、理解できていなくても卓越したセンスがあれば実行できてしまうわけである。
そして、理解できているから実行もできると勘違いしている人材こそ、次の行程においては阻害因子になりやすい。

 

最終的には、全国民から賛同されてこそなので、すべての人に参加してもらいたいが、最初に出会った人と最後まで一緒というわけではない。
状況に応じて人選をしていかなければならないし、そもそも、これを妥協して安定的な行程をリスクにさらすような判断は、自分にない。


つづく

 

 

みおきょうこ@診療放射線技師 @Instagram
https://www.instagram.com/mioko1111/