『大半の人間が言葉を読み書きできないのは、いいことなんだよ。
文字というのは特殊な技能、言葉を残すのは重い行為だ。
扱うには一定の資質と最低限の教養が要求されるべき。
誰もが簡単に文字を使えたら、ゴミのような情報で溢れ返ってしまう。
そんな世の中、目も当てられん。』
魚豊/マッドハウス 『チ。―地球の運動について―』第10話
バデーニの言うことは、裏から核心を突いた内容が多い。
極端な面はあるが、だからこそ印象深くもある。
医療は、人体を切ったり縫ったり異物を取り込ませたりする行為である。
そのデメリットを超えるメリットを保証できてこそ、これを医療行為と認められる。
医療を担う者は、免許を与えられることで初めて、それを為すことができる。
つまり、本来やってはいけないことを、特殊な知識と技能を有することで許されているのである。
自分は、医療コンサルが最低限の医学的知識や医療関連法規すら学ばないうちから、勝手な解釈で医療に立ち入り、堂々と利益を得ていることを、心底嫌っている。
健診や美容で気軽に医療と接することができる世の中であっても、医療は免許を有する者が臨む場であり、人の生死に立ち会う場でもある。
医療費低減が叫ばれるようになって以降、医療経営者は他業種から学ぶ機会を得るようになり、医療コンサルを利用する医療機関は増加の一方だ。
しかし、それが適切かどうかは未検証であり、少なくとも、医療が医療倫理を核として患者の利益のために動いていても、医療コンサルは企業倫理を当然として自社の利益のために動いている。
医療機関に受け入れられないプランであっても、提供すれば料金は発生するとして、素人同然の医療経営者に高額の料金を求める医療コンサルもいる。
法的根拠が明確にある行為でも、心理的安全性の欠如などと述べて、問題の本質を履き違えるようなレクチャーを行い、医療従事者をミスリードする医療コンサルもいる。
医療においては、利用者である患者は情報弱者であり、提供者である医療従事者はその点に十分配慮した説明を行う。
しかし、医療コンサルは医療経営者を情報弱者として扱う意識が低く、それでも利益が出ればよいのである。すべての医療コンサルがそうであるとまでは言わないが。
自分の感覚で述べると、控えめに言ってもクソな話である。
が、これは医療をベースとする価値観を自分が有しているからで、世の中のすべてがそう感じるわけではないだろう。
しかし、それでは医療が成り立たないことを、現状が示している。
そう、今の医療は『目も当てられん』状態だ。
バデーニの魅力は、知に対する圧倒的純度だと自分は思っている。
未完成の地動説を初めて目にしたときも、地動説が楕円軌道をもって完成する可能性に気付いたときも、バデーニは嘔吐している。
それ程、バデーニは真っ向から知と向き合い、その衝撃のすべてを受け止める覚悟を持っている。
自分も、圧倒的純度で医療と向き合う覚悟をもって進むべきだろう。
医療は、専門的な知識と技能を有する者が免許を与えられることで臨む特殊な場である。
そして、医療現場だけでなく医療経営にも、それを求められるフェーズを迎えている。
医療経営管理士が、この国の医療経営にあるべき圧倒的純度を、取り戻していくことになるだろう。
みおきょうこ@診療放射線技師 @Instagram
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